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100年を彩った品種たち

Episode 04 ホウレンソウ
べと病と闘う葉物の“王様”

ホウレンソウといえばポパイ。危機一髪の場面で缶詰を開けホウレンソウを食べると、たちまち体中に力がみなぎり、悪漢ブルートをやっつけてオリーブを助け出す。それほどの速攻効果はないにしても、ホウレンソウはビタミンA、ビタミンC、鉄分などを豊富に含む、緑黄色野菜の代表です。

日本へは中国を経由して平安時代に渡来。長い歴史の中で、日本の気候に順応した在来品種が発達しました。この在来品種は長日条件で花芽ができるので、日本では長らくホウレンソウは秋まきして晩秋から冬に収穫する冬が旬の野菜でした。しかし、実際に消費が伸びたのは1960年代になってからです。理由は、1950年代に交雑育種が盛んに行われ、それまでの在来品種に比べ収量が高く、春まきや夏まき栽培ができるようになったからです。もちろんテレビの普及も貢献しています。「ホウレンソウを食べると、ポパイみたいに強くなるのよ」と日本中の母親が子供たちに言い聞かせていました。

アトラス

葉表に発生したべと病

葉裏に発生したべと病

サカタのタネでは1972年にF1品種「アトラス」ホウレンソウを発表しました。この品種は葉の丸い西洋種と葉に切れ込みのある東洋種との一代交配種で、西洋種からは、晩抽性(太陽の出ている時間の長い春~夏でも花がつきづらい性質)、べと病抵抗性、丸種子、多収性などを受け継ぎ、東洋種からは食味と葉の形、低温伸長性(気温が低くてもよく育つ性質)、土壌病害に対する強さを受け継いでいます。その中でもホウレンソウの重要病害のべと病(べと病レース1)に対する抵抗性を持たせた点が画期的でした。べと病は葉に黄色い斑点ができ、葉の裏に灰色のカビが生える病気です。この病気が出るとホウレンソウは売り物にならなくなってしまうので、病気の発生しやすい秋や春には、殺菌剤を頻繁に散布する必要がありました。ところが「アトラス」を栽培すると、殺菌剤なしで無病のホウレンソウが収穫できたのです。当時ホウレンソウの産地では、「アトラス」の畑とそれ以外の品種の畑が、病気にかかっているかいないかで、はっきりと見分けられたそうです。
「アトラス」は市場を席巻し、べと病は克服されたと思われましたが、病原菌もブルートさながら次々と手を変えて挑戦してきます。「アトラス」発表後10年もしないうちに、「アトラス」にも感染する新しいべと病(べと病レース3)が発生しました。これに対して1982年にべと病レース1と3に抵抗性のある「ソロモン」を発表したことで、再び安心してホウレンソウをつくれるようになりました。ところがそれから10年もしないうちに、今度は「ソロモン」にも感染する新しいべと病(べと病レース4)が発生しました。1993年に「アトランタ」と「パンドラ」を発表し、また安心してホウレンソウをつくれるようになりました。ところがそれから…。と何度かの繰り返しの後、現在は「プログレス」という、べと病レース8と呼ばれるべと病に対して抵抗性のある品種を販売しています。

ソロモン

アトランタ

パンドラ

プログレス

さて、ポパイの故郷アメリカでは、ホウレンソウの需要がこの20年で急増しました。時代はかわり缶詰ではなく、今度はベビーリーフが主役です。畑にたくさんのタネをまき、葉がスプーン程度の大きさになったら機械で収穫し、洗浄してパックに詰めます。当社でもベビーリーフ向けの品種を育種しています。最新の品種は、13種類のべと病菌に抵抗性を持たせてありますが、さらに新しいタイプのべと病への対策も必要となっています。

育種はまだまだ続きます。