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サカタのタネ歴史物語

サカタのタネ本社

History 05
飛躍期 新世紀への挑戦 種子と向き合って一世紀

「花の万博」の成功と「掛川総合研究センター」

1990年4~9月まで「国際花と緑の博覧会」が大阪で開催され、当社のトルコギキョウの新品種「キング オブ スノー」がグランプリを受賞。「キング」シリーズとして商品化され、トルコギキョウは「花のサカタ」を代表する品目の一つになった。

トルコギキョウ「キング・オブ・スノー」

国際花と緑の博覧会で当社が受賞したメダル類

国際花と緑の博覧会において大賞を受賞したトルコギキョウ
「キング・オブ・スノー」の賞状とトロフィー

その年の11月1日、当社は東京証券取引所市場の一部上場を果たした。直前の10月12日に正之会長が亡くなった。享年73歳だった。

花は三郷、野菜は君津で進めてきた品種育成のキャパシティーが限界に近付いたことから、静岡県掛川市の農地約32haを整備。1990年4月に開設し、1993年5月に農場と研究施設を兼備する「掛川総合研究センター」を正式オープンした。

掛川総合研究センター

「四本部制」への移行

1991年7月には、「国内卸営業本部」を新設。営業はすべて営業所、本社各部は商品の企画立案を担当するよう役割分担した。以降、「研究本部」、「管理本部」、「商品管理本部」が発足し、「四本部制」がスタートした。また、9つの営業拠点を設け、全国をカバーする販売ネットワークを形成した。

本社移転と加速する海外展開そして金子社長の急逝

今後さらなる国際化を進めていく上で、1995年1月には新本社(現本社)を竣工し、老朽化した旧本社から移転した。

海外に目を転じれば、1990年代後半にも世界各地で種子生産や販売活動を担う現地法人が相次いで設立された。1994年、ブラジル第2位の種苗会社「アグロフローラ植林・農牧会社」の買収を皮切りに、世界各地に拠点を増やした。1997年4月時点で7つの海外子会社と4つの孫会社を擁するに至った。そのため、現地法人の連絡窓口として「国際事業本部」を新設した。1997年には韓国事務所(現サカタ・コリア、SKC)、1998年「坂田種苗(蘇州)有限公司」(SCN)などが開設された。

1999年12月、積極的な海外進出を推し進め、1979年に代表取締役社長に就任後20年の長きにわたり当社社業の発展に多大な貢献をした金子が急逝した。

サカタのタネ本社

アグロフローラ植林・農牧会社

サカタ・コリア驪州育種研究所

坂田種苗(蘇州)有限公司

中期経営計画がスタート

1999年、金子社長の逝去を受けて社長に就任した高橋英夫は、重要な部署やプロジェクトを新設。新世紀のサカタのタネグループの経営のあり方と中・長期的な経営戦略を定める作業に着手した。

高橋は2001年6月、今後9年間の経営方針と経営戦略を公表。当社が目指すべき方向性と中・長期的展望を明らかにした。

高橋英夫

大幅な組織改革を行い、グローバル展開の足場を築く

2002年7月、大規模な組織改革が行われた。「商品管理本部」を「生産・物流本部」「品質管理本部」に分け、「国際事業本部」の営業部門を特化して「海外営業本部」と改称。業態・機能別だった国内営業組織を商品別にくくり直し、機動性が高まるように配慮した。北海道、東日本、西日本、九州の4支店を設立し、本社の権限を大幅に委譲した。

全社を6本部制(研究、品質管理、生産・物流、国内営業、海外営業、管理)に改めた当社は、2003年、デンマークのデンフェルト社の花き部門(品種、農場など)を買収。新たに「サカタ・オーナメンタルズ・ヨーロッパ」(SOE)を設立。ヨーロッパの花の拠点をオランダからデンマークのオーデンセへ移し、野菜部門は南フランスのウショーに「サカタ・ベジタブルズ・ヨーロッパ」(SVE)を設立した。

組織改革、国際競争力の強化、在庫圧縮、不振事業の見直しなど、さまざまな構造改革も断行した。

サカタ・ベジタブルズ・ヨーロッパ

サカタ・オーナメンタルズ・ヨーロッパ

坂田新社長の施策

在任中、数々の意欲的な試みを行った高橋は、2007年5月に退任。坂田宏常務が新社長に就任した。

就任時の創立記念式典の席上で、今後の当社の役割を「自然と共生できる商品を研究開発し、素晴らしい地球環境づくりに貢献する」と述べた坂田は、現状を変えるべく、活力あふれる組織づくりを行うため、「執行役員制度」を導入した。また、国内営業本部を「国内卸売営業本部」と「国内小売営業本部」に分割したのもこの時からである。

坂田宏

次の100年に向けて

2011年3月11日に起きた東日本大震災は東日本沿岸部に甚大な被害をもたらした。当社の栃木の事業所と子会社も大きな被害を受けたが、従業員の必死の努力で早期に復興した。

平行して当社の被災地支援は、本業の花や植物の力で被災地を応援するのが一番良いと意見がまとまり、「お花の力で日本を元気に!! 希望のタネをまこう!」プロジェクトを立ち上げた。2011年6月1日から1年間「花のタネキャンペーン」を実施。花種子の絵袋の売上金の1%を公的機関を通じて寄付した。

種苗業界では近年、寡占化と業界再編の流れに日本の種苗会社も巻き込まれ始めている。そうした中で当社は現在、海外の9か所に研究農場・施設を保有、19か国で種子を生産し、19か国32拠点の関係会社とともに170か国以上に種子を供給している。こうしたグローバルなネットワーク展開の結果、連結総売上高の約40%は海外での売上げで、種子に限れば60%を越えている。

お花の力で日本を元気に!!
希望のタネをまこう!プロジェクトの種子袋

創業100周年を迎えた当社は1913年の創業以来、常に「タネ屋」の誇りを忘れずに事業に邁進してきた。この仕事は種子を販売することにとどまらず、多くの人々に花のある暮らしや豊かな食卓の喜びを届けることによって、広く社会に貢献することだと考えている。