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サカタのタネ歴史物語

オール・アメリカ・セレクションズのメダリオン・オブ・オナーを受賞する坂田武雄(1965年8月)

History 03

成長期 戦後の焼け跡から再出発し、
F1育種で急成長を実現

"花のサカタ"の茅ヶ崎試験場

茅ヶ崎試験場は戦後の荒廃から立ち直ったが、主力はやはり花の育種と栽培だった。
中心は輸出用ペチュニアで、特に武雄の情熱が結実したのは1957年発表の赤白模様で多花の一重咲きペチュニア「グリッタース」だった。その年のAAS銅賞を受賞、一重咲きペチュニア時代を加速させた。戦前の「ビクトリアス」シリーズに続き、最高水準のF1品種を発表した当社は、世界の園芸界で"ペチュニアのサカタ"と呼ばれ、花の育種会社として不動の地位を占めるようになっていった。1966年に花径約12㎝の大輪パンジー「マジェスチックジャイアント」の開発に成功。「マジェスチック ジャイアント ミックス」と「同ホワイト ウイズ ブロッチ」がAAS銅賞を受賞し世界に実力を認められた。

1945年ごろの茅ヶ崎試験場

金盃の畑

マジェスチック ジャイアント ミックス

1960年代の野菜部門はF1品種育成の初期段階にあった。日本は高度成長期に入り、多くの農産物も大量生産・大量消費の要請に応えなければならず、花や野菜の品質も均一であることが要求された。これに応えられるF1品種は"理想のタネ"としてもてはやされるようになった。当社は1957年の「全日本蔬菜原種審査会」でF1キャベツの新品種「金盃(きんぱい)」が農林大臣賞を受賞、春キャベツを代表する品種となった。
さらに野菜の品種育成を進める必要を感じた当社は、1960年4月、藤沢市の4haの土地を購入し、「長後試験場」を開設。移転後には現在もキャベツの名品として名高い「金系(きんけい)201号」や「金春(きんしゅん)」を作り出している。
1959年4月には長野県の高地(標高700m以上)に「三郷試験場」を開設した。高冷地に設けた農場で適応性を調べ、試作を行う必要が生じてきたためだった。

画期的なF1品種メロン「プリンス」が大ヒット

1962年、当社はメロン「プリンス」を発売し、日本のメロンの常識を変えた。早くから高級レストランのデザートや、病気見舞いの定番としてマスクメロンがあったが、温室で一つずつ丹精をこめて作らないとできない高級品だった。
「これはいける!」と思わせるメロンができたのは1961年7月のことだった。さっそく市場で試食してもらった結果は大好評。試食を行った果実商の会の名称が「プリンス会」だったことからメロン「プリンス」と命名された。この年から種子生産が本格的に始まり、1960年代後半はまさに"「プリンス」の時代"となった。多くの困難や失敗を乗り越えて開発に成功した「プリンス」は、武雄が打ち立てた数々の功績の中でも一際輝く、金字塔のような存在だった。

プリンス

会社の合理化・近代化と組織改革を実践

優良な花の品種育成を通じ、日本の輸出振興に尽くした功績により、武雄は1958年に藍綬褒章を受賞した。さらに1965年8月にはAASから、外国人として初めてメダリオン・オブ・オナーを受賞している。
1967年8月、全国的な営業網と販売促進活動の必要性を感じ、その先駆けとして「福岡出張所」を開設、業務を開始した。各地で販売網を広げることに努めた当社は、1967年10月に「福島連絡所」、1971年6月に「仙台出張所」を開設。それを拠点とし、地域の営業・販売活動を強化することにしたのである。

メダリオン・オブ・オナー 楯

福岡出張所

野菜育種の拡大を図り、創業60周年を祝う

育種品目を増やすだけでなく、耐病性のある品種の開発や新たな育種工学、野菜栽培の適応性試験なども行える新農場を建設する機運が盛り上がり、1971年6月、千葉県に国内向け野菜育種の中核を担う「君津育種場」を開設した。主力の野菜部門が移った長後試験場は茅ヶ崎試験場や園芸部、苗木生産部の一部が異動し、花きを中心とする育種場に変わった。

君津育種場

グリーンデューク

君津育種場が開設されたころ、当社はF1野菜が次々にヒットし、内外で"野菜のサカタ"の知名度を上げていた。
最初のヒットはブロッコリーの「グリーンデューク」である。1969年から台湾の渓北農場近隣の農場で委託生産した種子を全量アメリカへ輸出し、アメリカ国内のF1では二番手だったにもかかわらず、種子の生産技術が確立されて種子が大量に安定して供給され、青果物が従来品種より高品質で収量も2倍以上になることが伝わると、またたく間に市場を席巻。それをきっかけに現地へ生産拠点を移し、新品種開発と採種技術の改善を続けた結果、当社のブロッコリーは以後40年間、世界市場の5割以上のシェアを占めた。
2つ目は導入した画期的に甘いトウモロコシ「ハニーバンタム」。1974年から青果店の店頭に並べられ、都市部の消費者の味覚を虜にした。

ハニーバンタム

ハニーバンタム レッテル1

ハニーバンタム レッテル2

3つ目のヒット商品は、1972年に発売したF1ホウレンソウ「アトラス」。べと病や立ち枯れ病に強いヨーロッパ系ホウレンソウの雌系統と、日本の代表的な雄系統を交配した結果誕生した「アトラス」は耐病・多収性の新品種として脚光を浴びた。
F1野菜の新品種を次々に発売、内外の市場と業界をリードしてきた当社は、1973年8月に創業60周年を記念して三郷試験場で「フィールドデー」を開催した。

アトラス