1. トップページ>
  2. Episode 09 キャベツ
100年を彩った品種たち

Episode 09 キャベツ
食卓の万能選手

キャベツ、メキャベツ、コールラビ、ブロッコリーそしてカリフラワーは、どれも、地中海地方沿岸のアブラナ科植物 Brassica oleracea L.を起源とする栽培作物です。こんなに違うタイプの野菜の起源が一つというのは不思議ですね。

さて、今回のお話はキャベツです。浅漬け、千切り、ザワークラウト、ロールキャベツ、コールスロー・・・世界中の食卓に欠かせないキャベツにもさまざまな「サカタのタネ」ストーリーが隠されているのです。

 

ステキ甘藍掲載カタログ

金盃

日本へは、江戸時代にケールのような非結球キャベツが渡来しました。その後、明治初年にいわゆる一般的な結球キャベツが導入されました。冷涼な気候を好むため、東北や北海道などで栽培が始まりました。大正から昭和初期にかけて、輸入品種をもとに品種育成が行われ、夏まき秋冬どりの品種や、秋まきする「春キャベツ」もつくられるようになりました。

日本が第二次大戦に参戦する直前、戦雲垂れ込める1940年に当社から発表されたのがF1キャベツ「ステキ甘藍(かんらん)」です。これは当時の最先端の技術だったF1の交配理論を元に、当社社員だった篠原捨喜氏が作出した品種です。「ステキ甘藍」のステキは「あら、ステキ!」のステキではなく人の名前だったのです。「手探り」、「試行錯誤」などの言葉がぴったり当てはまる作出経過を経たこの品種は、世界初のF1キャベツであることはもちろん、アブラナ科野菜の商業的なF1品種としても世界初と考えられています。しかし、日本は翌年に参戦し、この画期的な品種は発表はされたものの、品種として世に出ることはなかったのです。

金系201号

金春

戦後の当社F1キャベツの歴史は1956年に発表した「金盃(きんぱい)」から始まります。戦前の世界初100%八重咲きF1ペチュニア「ビクトリアス ミックス」の名声もあり、当社はこのころ「花のサカタ」のイメージを強くもつ会社でした。当時、当社の育種の中心だった茅ヶ崎試験場は、場長以下大多数が花の担当者で、野菜担当はわずか数人でした。野菜育種担当の孤軍奮闘ともいえる業務の中、周辺農家の協力もあり、できあがった「金盃」は、そのそろいのよさや、つくりやすさが高く評価され、農林大臣賞を受賞。そして、春キャベツの代表品種となり「サカタのタネには野菜もある!」ということを野菜育種担当者の誇りとともに、強くアピールしたのです。

「金盃」でつくりあげられた「春キャベツならサカタのタネ」というイメージは、その後発売された「金系201号」「金春」で確固たるものになります。これらは、春キャベツの大産地である千葉県・銚子、神奈川県・三浦、愛知県・渥美などで、つくりやすさと味が高く評価され、中心的品種となっていきました。

そして、21世紀に入ると、堅く、日持ちもよいが、生食用としては春系キャベツに劣るといわれた平玉系キャベツの問題点を解決した「新藍(しんらん)」「藍天(らんてん)」「冬藍(とうらん)」を発表。いずれの品種も作型こそ違えど、春系に勝るとも劣らぬ味のよさで人気の品種となります。

2010年には、「青琳(せいりん)」が民間品種として初めて"農林認定品種"となるなど、その勢いはとどまることを知りません。

青琳

サボイキング

新藍のざく切り

海外に目を転じても、1965年に「サイボイキング」、1969年に「ストーンヘッド」「ハーベスタクィーン」がオール・アメリカ・セレクションズに入賞したのを皮切りに、「ハーキュレス」や「ブルーバンテージ」などの人気品種が生まれ、アメリカに当社の野菜品種が広く知られる契機となったのです。

さらに、アジアでも1980年代にフィリピンで「スコーピオ」、1990年代後半からは中国で「希望」が大ヒットし、「サカタのタネのキャベツここにあり」をアピールしたのです。

キャベツの千切りや、コールスローは、単なる料理の脇役ではありません。キャベツに生涯をかけたサカタの社員にとって、それは立派なメーンディッシュなのです。