ここから始めよう

一年で最も喜ばしい日に起きた能登地震は、ここ仙台までも伝わった。

コロナが5類になった特別な新年の喜びを瞬時に恐怖と悲しみが覆いつくした。その揺れ幅は人々の感情の起伏を最大限に動かし、日常のあらゆる事柄が決して永遠のものではないことをまた私たちに突きつけている。
 
もうすぐ13年目を迎える3・11の日を前に、この出来事に触れた私は様々な感覚を追体験した。報道の言葉が強烈な感情を呼び戻し体調も崩した。まるで今の出来事のように多くの言葉が体を緊張させた。既視感をはるかにしのぐ現実味に動悸が始まり記憶と現実の感覚が重なっていく過程を観察者のように体験した。

ああ、私も被災者だったのだ。

しばらく静まっていた感情。

時間の経過もこうしてあっという間にさかのぼり恐怖も不安もよみがえるともう、感情は思考には勝てなかった。報道を消してもまだ落ち着くまでには数日を要し、我ながら「克服したと思っていた感情がまだそこにある」ということを受け入れ向き合うまでにさらにまた時間が必要だった。

ここ数日になって今朝も変わらず穏やかな朝がやってくることに意識を向けられるようになった。ようやく、よい報道も聞こえるようになっていく。同時に、被災地で仮設暮らしができるようになったところにヒマワリの種を届けて、花と笑顔の知らせが届き、私の方が元気をもらったことを思い出した。

そうだった。

時間とともに、私たちは今も確かに復興している進行形だ。一人一人の悲しみと苦しみに丁寧に向き合い、決して希望を捨てなかった。希望を言葉にするだけでも勇気が出たのだった。多くの知恵が終結して、災害のたびに速やかによくなり世界中が友達になったのだった。たくさんの人が見守り応援してくれていることに甘えてもよいのだった。暖かいお風呂に入ったとき心と体に血が通った。いつもできることが再びできたときに、力がわいた。

今日に力を振り絞って立ち向かっている人たちに一粒でも届けよう。

希望の種は必ず芽を出し花を咲かせる。

被害に合った人々が今も懸命に命と向き合っていることに思いをはせよう。

そして、私ができることは何かを自分事として考えよう。

行動する人と一緒ならばその一歩から前に進める。

ここから始めよう。

大越 桂さんプロフィール

1989年、宮城県仙台市生まれ。819グラムの未熟児で誕生し、重度脳性まひ、未熟児網膜症による弱視など、重度重複障害児として過ごす。
9歳頃より周期性嘔吐症を併発、障害の重度化により医療管理が必要になる。13歳で気管切開により失声し、筆談による「言葉のコミュニケーション」を始めた。2004年12月ブログ「積乱雲」を開設。2007年「第4回One by Oneアワード/キッズ個人賞」(日本アムウェイ主催)を受賞。同年、宮城県立名取支援学校高等部卒業。著書に『きもちのこえ~19歳・言葉・私~』(毎日新聞社、2008)がある。
現在創作工房「あとりえ・ローリエ」代表。詩の発表を続ける。「いのちのことばコンサート」(2009、2010)、詩とアートのコラボ展「言音色」(2010、2011)、東日本大震災応援歌「花の冠」(作詞 カワイ出版、2011)など、ジャンルを超えたアーティストとのコラボ活動多数。
2011年10月、「花の冠」が野田佳彦総理大臣の所信表明演説に引用される。2012年2月、初の詩集『花の冠』(朝日新聞出版)、『海の石』(光文社)を2冊同時刊行。2017年6月・12月、切り絵作家森屋真偉子氏とのコラボ展「みえない手」開催。